2018年7月


大雨の翌朝は、例によって息子が寝ている間に出勤し、通勤ピークの波の流れを遡るように再び自宅に戻った。

隣の市から会社に通う社員の「渋滞で車が進まないので自宅へ戻った」「1時間遅れのバスに乗ったけど道で事故があってそのバスも進まない」というやりとりとは関係なく、街中のバスは週明けの出勤者を運んでいる。

日曜日までの長雨が“なかったこと”のような夏空の下で蝉が鳴き始めたけれど、東南の山を越えた向こうには泥の色をした苦役に耐える人々がいる。

息子の学校は臨時休校となり、行きたかったお好み焼き屋は月曜日が定休日で、正午前に入った大きなお店は我々以外に客がいなかった。

夕方に寄った大きなスーパーでは、日配品/生鮮品のコーナーだけがきれいに何もなくて、それ以外の棚の品揃えとの不揃いさが目立つ。

この数日間、外に一歩も出ていない家人は「道路には泥のついた特殊車両が走ったりしてるの?」と訊いてくるけど、そんなにわかりやすい非日常はまだこの街には存在していない。

その家人は、ホスピスに入った実母筋の祖母がもう長くないという知らせを受け、この数年断絶していた母親と共に、様々なことに決着をつけるような思いで今週末に富山まで行く決意をしたようだ。

ちなみに、もともと鳥取の人間である祖母がなぜ縁も所縁もない富山にいるのかは謎。


異なる様々な映像を流す複数のモニター画面の前に居るようだ。

それぞれ異なってはいても、どれも全て手を伸ばせば届く現実のことで、それらを受け取る自分の心はいつもひとつしかない。

こんな時にヒグチアイの唄が鳴り止まない。

それは自意識への逃避ではない。

ごちゃごちゃした現実や情報を、ひとつにまとめて壊れないように風呂敷でくるんで、ちゃんと背負っていけるようにするための自分へのおまじないみたいなもの。


彼氏いたってお金あったって
つらくなることないですか?
世界で一番わたしが
不幸だって思ってもいいですか?

なにが不満だって 言えないよわかって
誰のせいでもないんだよ
呪いみたいに縛られて
寝ても覚めてもいつも夢の中

ハードルを高く高く決めたの
絶対下げたくない
傷はいつかを 思い出す鍵だ
なんども転べ

誰もいない街 誰も見てないステージ
踊り続けられるだろうか
擦れたかかと 引き摺って
それでもまわるまわる
誰もいない道 誰もくれないトロフィー
走り続けられるだろうか
わたしのために わたしのための
わたしでわたしでありたい

かわいくたって頭良くたって
つらくなったっていいですか
憧れとごちゃまぜにして
話合わせに語る夢じゃない

ねえどうか今を最高地点と
決めつけないでいて
旗は立てるな 大きく振れよ
風を味方に

誰もいないベンチ 誰もいない客席
削り続けられるだろうか
厚くなった手のひら
信じて 進め 進め
誰もいない未来 誰も知らないストーリー
描き続けられるだろうか
わたしのために わたしは生きるの
つらいなら、こわいなら、大丈夫

しあわせの数 増えて見つけた
ちいさなかわいい家
これが全てだ そう言った友よ
しあわせでいて

誰もが背を向け 誰からも忘れられて
いつか来る日がこわいけど
誰でもないわたしがわたしを覚えている
強く強く

誰もいない街 誰も知らないメロディー
うたい続けると誓うよ
わたしのために わたしのための
わたしでわたしでありたい
わたしでわたしでありたい
わたしでわたしでありたい


でも、いちばん最後でいいので、わたしはあなたのためのわたしになりたい。

愛は呪い

「人を愛する」ことは呪いだと感じる。

相手を愛する故に出る行動で、言葉で、気持そのもので、相手に呪いをかける。
なにより、自分自身に呪いをかける。

その呪いの解き方はみんな知ってる。
けど、「知っている」ことと「できること」は違う。

呪いと生きていく術を身に着けながら、抗いながら、生きていく。
泣いたあとにごはんを食べて、遅刻しないように出かけて、帰ってからまた泣く。

マイミクさんがいった「世の中ってなんて強靭なんだろう」とは、
世の中の大半は、そんな呪われた人たちが抗いながらつくったもので構成されているからだな。