性格/ルックス(体型)/出自/家族環境も異なる4人の主人公たちの結びつきや性格を表す幼少時からのエピソード(本篇部分の重要な伏線が含まれている)をアメリカ・フェレーラのナレーションで簡潔に紹介するオープニングに続き、現在の4人がしばしの別れを愛しむために一緒に買物に出かけ、そこで出合う”なぜか4人の誰が履いてもピッタリとする不思議なジーンズ”。
「この4人に合うジーンズだから運命のジーンズなのよ!」と隠れ家でロウソクを立て即席の【旅するジーンズの10箇条】を制定し友情を誓い合う導入部の部分で、既にノックアウトされた。
ミドルティーン(個人的な経験としては”16歳”というより中学校を卒業するまで)の頃までは疑いなく持つことのできた【友情】や【奇跡】を信じることのできる気持ちをいつか人は忘れてしまうけれど、それをふと思い出させるためにこんな映画/こんな場面が存在するのだろう。
その夏、それぞれにとって重大な経験をすることになる4人ひとりひとりの不安な気持ちを、航空便や大陸便で世界を旅する一本のジーンズとそれに託された手紙が繋いでいく。
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ドラマの描き方としては4人の物語のオムニバス・ドラマとも言えるのだけど、それぞれの物語を最小構成単位でぶつ切りにして再構成し、中盤以降は4人の性格の変化(成長)を紡ぎあわせてラストまでの1本の軸糸に持っていく、その編集/脚本の巧さ。
脚本のデリア・エフロンはノーラ・エフロンの妹さんだそうで、聞くところによればエフロン家は父・母を含めて全員が映画脚本家とのこと。
また、撮影や画面構成も4人の性格/ストーリーに合わせてそれぞれ明確な個別方針が貫かれており、それらの編集の組み合わせによって全体が鮮やかな4色のタペストリーのような仕上がりになっている。
そして4人を演じる女優ひとりひとりが素晴らしい。
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母親を亡くして父子家庭のブレイク・ライヴリー(1987年生まれ)は、高校ナンバーワンの女子サッカー選手として太陽と海が輝くメキシコへの強化合宿の旅へ。
そこで出会った大学生のコーチに一目ぼれして果敢にアタックを開始するが、なかなか煮え切らないコーチの態度に、”不思議なジーンズ”を勝負パンツがわりにライヴリーは宿舎を抜け出し…。
抜群のプロポーションと無邪気な笑顔、裏表なくストレートな性格の良さで同性からも嫌われない彼女だけど、その明るさの裏にあるの、本人も気づかなかった重要な感情と対峙することが彼女にとっての試練でもあった。
勝ち組のWASPガールの見本とも言えるブレイク・ライヴリーの素材のよさは、観ているこちらも”ええ娘じゃねぇ”と惚れてしまう眩しさがあった。
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優しいが気の弱いアレクシス・ブレデル(1981年生まれ)は夏休みを利用してギリシャのサントリニ島の祖父母のもとへ帰郷。
ここでジーンズは彼女とある青年との出会いの橋渡し役となるが、その青年は祖父の代からいがみあってきた家系の末裔だった…。
美人だが内気な彼女は血の流れないミニマムな『ロミオとジュリエット』的状況の中で苦悩する。
普段なら自分を守ってくれるはずの親友3人もいない(そもそも言葉も通じない)、見知らぬ土地の中で自分自身を見つめなおし自らを解放していくエピソードが、パノラマのような地中海の家並みと白壁、青い海のコントラストの美しい風景の中で描かれる。
だがこのエピソートの中で個人的に印象に残ったのは、彼女よりも彼女の祖父母がふと見せる”絆” ─海に面した庭先でタコを紐に干している祖母と、その横でくつろぐ祖父がふと思い出したように、または生活のごく一部のように妻(祖母)を抱擁するシーン─ だった。
ブレデル自身もこの二人の姿を見て自分の思い貫くことを決心するのだが、石田ひかり似のブレデルは、恋によって強くなった少女の姿を”目力”でうまく表現していた。
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”不思議なジーンズ”を発見し夏のあいだ履きまわすことを言い出した張本人であるアメリカ・フェレーラ(1984年生まれ)は、父親とのひさしぶりの再会のためにひとり旅立つ。
幼いころに両親が離婚し母親と暮らしてきた彼女だが、数少ない父親との思い出を大切にし、また強く慕っている。
それだけに彼女は父親の突然の再婚話(それも同年代の二人の子持ちとの)に対して激しく同様する。
プエルトリカン系の母親の血を濃く受け継ぐ彼女は、アングロサクソン系の父そして新たな母・兄弟の中で疎外感を感じてしまい、両親の結婚式を目前にして父親の元から逃げるように地元に帰る。
彼女を救うのはジーンズではなく、ジーンズによってひとまわり成長した3人の仲間たち。
再会した4人が一路父親の結婚式に向かうのがこの映画のクライマックス(といっても派手なものではないが)だった。
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少々ひねくれてゴス系のアンバー・タンブリン(1983年生まれ)は他の3人のように旅立つ先もなく、地元のウォルマート(風のメガストア)でバイトを行いながら、暇つぶしのため、または自分よりも下層の人間を見つめて自己優位性を保つため、ビデオ機材を活用して地元のダメ人間の生態を記録したドキュメンタリー(通称「ミジメンタリー」)の製作に勤しみ、それ以外は歳の離れた妹/弟の子守に辟易する日々。
そんな彼女のもとに、近所に住む年下の少女ジェナ・ボイド(1993年生まれ)がアレクシス・ブレデルからタンブリン宛に送られたジーンズを持って訪ねてくる。
”自分もミジメンタリー製作に参加したい”とまとわり付くボイドをタンブリンは鬱陶しく扱うが、インタビュアーとして取材対象の心を掘り下げていくボイドの存在が、タンブリン自身の他人に対する見方を少しずつ変化させ、やがてにタンブリンが「生きること」の意味を真剣に自分自身に問う、忘れられない出来事をもたらすことになる。
”不思議なジーンズ”の履きまわしについてもどこか一歩退いて、それまで世の中を斜めに見ていた彼女が生まれて初めて、【誰か】のために奇跡が起こることを祈り(奇跡など起こらないことは彼女自身よく判っていても)、また【誰か】のために涙することを覚える。
先述のように各4人のエピソードごとに撮影方針は異なっており、アレクシス・ブレデルのエピソードにおけるエーゲ海の鮮やかな美しさと対象的にアンバー・タンブリンのエピソードでは(彼女の心象環境を表すかのように)ウォルマートの店内の無機質さが強調される。
その無機質さの中に時折挿入される星空の美しさは心に残り、タンブリンとボイドの二人のやりとりが二人芝居の舞台劇のように絶妙な間を含みながら、哀しくも爽やかな気持ちにさせてくれる。
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日本での劇場公開時の評価は高かったが、キャストがほぼ日本国内では無名であること、青春映画というジャンルが冷遇されてしまっていることもあって国内では首都圏の数館で公開されたのみだが、続編『旅するジーンズと19歳の旅立ち』が公開済。

